日本遺産
会津の三十三観音めぐり
~ 巡礼を通して観た往時の会津の文化 ~
平安時代に東北地方で最も早く仏教文化が花開いた地「会津」。
江戸時代から盛んになった「会津の三十三観音めぐり」では、巡礼をしながら、食事や宿泊、娯楽も楽しんでいました。
そして実は2016年、会津若松市をはじめ、会津地域に今も伝わる「会津の三十三観音めぐり」が、日本遺産に認定されました!
日本遺産ってなに?
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁が「日本遺産(Japan Heritage)」に認定するもので、平成27年から始まりました。従来は、文化財を「点」として個別に保存していたのに対して、日本遺産は、寺社仏閣や伝統芸能、食文化などの点在する文化財をひとつのストーリーとして認定することで、「面」としての活用・発信することができます。

会津の三十三観音めぐりのストーリー
東北地方で最も早く仏教文化が花開いた会津は、今も平安初期から中世、近世の仏像や寺院が多く残り「仏都会津」と呼ばれます。その中でも三十三観音巡りは、古来のおおらかな信仰の姿を今に残し、広く会津の人々に親しまれています。会津藩主、名君保科正之が定めた会津の三十三観音巡りは広く領民に受け入れられ、のちに会津各地に様々な三十三観音がつくられました。会津の三十三観音は、国宝を蔵する寺院から山中に佇むひなびた石仏までいたるところにその姿をとどめていて、これら三十三観音を巡った道を、道中の宿場や門前町で一服しながらたどることで、往時の会津の人々のおおらかな信仰と娯楽を追体験することができます。


気軽に体験できる七つのコース「七色めぐり」
そして今、古くから受け継がれてきた日本の宝「会津の三十三観音めぐり」が現代版「会津の三十三観音めぐり」として「七色めぐり」が誕生しました !
会津若松市内で歴史が感じられるおススメスポット !
飯盛山
会津若松市の中心部から東に位置する山で、戊辰戦争時に奮戦した白虎隊自刃の地として知られている「飯盛山」。山腹には白虎隊士の墓、自刃の地を示す石碑が設けられており、南西方向には、会津若松市のシンボル鶴ヶ城も望めます。城下町を一望に見渡すことのできる小高い山です。


さざえ堂
寛政8年(1796)に会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5mの六角三層のお堂で、正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」。
かつては、独特な二重らせんのスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、このお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。 上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、多くの参拝者がすれ違うことなく安全にお参りできるという世界的にも珍しい建築様式で、国重要文化財にも指定されています。


御薬園
かつて会津領主・藩主が別荘として利用していた、会津若松市にある日本庭園。
「御薬園」と呼ばれるようになったのは、三代目藩主松平正容公の時代であり、朝鮮人参の試植に成功し、栽培を広く藩民に奨励したことから名づけられました。江戸時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝にも指定されています。


七日町通り
大正浪漫が漂うレトロな町並み「七日町通り」。
毎月7の日に市が立ったことから名付けられた町で、藩政時代には、会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。
明治から大正、昭和初期に建てられた蔵や洋館が立ち並ぶ、なんとも風情で趣のある街並み「七日町通り」でのそぞろ歩きがおすすめです…!

